【特報 追う】どう使う「産業遺産」の看板 宮城・細倉鉱山
日本の近代化に貢献したとして、東北地方の細倉鉱山(宮城県栗原市)などが11月、経済産業省から「近代化産業遺産群」の認定を受けた。文化遺産とは違って、保存の義務付けも補助金もない。経産省は「東北をまたがるツアーに発展すれば」と期待をかけるが、地方自治体や遺産を所有する会社の思惑はどうも違うよう。昭和の面影漂う細倉鉱山を訪ねた。(荒船清太)
http://sankei.jp.msn.com/region/tohoku/miyagi/071207/myg0712070237001-n1.htm
JR仙台駅から電車に揺られて約1時間半。終点の石越駅で降りた。だがここからが一苦労。かつて鉱山に向かっていた「くりはら田園鉄道」は3月に廃線、すでに「遺産」の一つになってしまったのだ。「遺産といっても鉱山の従業員の住宅跡が映画『東京タワー』のロケ地になったときと同じで、だんだん客は来なくなるんでない?」という男性運転手のタクシーで鉱山に向かった。
鉱山まで1時間弱。現在も操業している細倉金属鉱業の佐藤幸則さん(47)が案内してくれたのは、江戸時代から鉱山の従業員を見守り、昭和の最盛期には鉱山の住民であふれかえったという細倉山神社だ。
よくみると神社の柱飾りのこま犬、阿・吽(あ・うん)の一方が欠けている。「数年前に盗まれました。常時警備するわけにもいかないし…」。くぎを一切使わない職人芸のたまものも、盗難跡に止めた板にはくぎの跡。神社に2対あった大杉も、ひとつは雷で折れて切り株となっていた。
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だが、しばらく歩き明治時代に掘られたという鉱脈に通じる「坑道」に入り、気分は大きく変わった。直径2~3メートルの穴が、総延長約600キロ、深さ約600メートルまで続く。しゃがんでもギリギリの穴だった細倉山神社近くの江戸時代の坑道「たぬき掘り跡」と比べても近代化の底力が感じられる。いまも秋田県立大の地震予知研究のため、坑道にはトロッコが走るという。
ふと見渡すと坑道の岩壁にコンクリートで囲まれた場所とそうでない場所がある。「そこが明治と昭和の分かれ目ともいえるかもしれません」。同社社長の高柳悟さん(60)は歴史を語る。
「日本で最初」と高柳さんが豪語する鉛の電解製錬所では、全国のバッテリーの約15%をリサイクルする同社の事業の一環で、排出される鉛を当時と基本的には同じ原理で製錬し直す。ガタン、ゴトンと文明開化の音がする。
「平安時代から続き、昔は公害の象徴のようにいわれた鉱山のなかで最先端のリサイクルをする。そんなところで遺産に選ばれたのかなと思っています」と、高柳さんは少し照れくさそうだ。
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実は栗原市は今回の遺産指定前に細倉鉱山を観光のシンボルのひとつとして施策を練っていた。経産省は「広域の産業遺産観光」を描いて東北3県にまたがる指定をしたようだが、市の担当者、江間仁志さん(44)は「指定はあくまでブランドとして使って、他県の遺産との連携はまだ考えていません」。「保存義務も補助金もないということは、地方が自由にできるということ。国の施策を利用するぐらいでないとこれからの自治体はだめです」と話す。
ただ、一方の高柳さんも「補助金は出ないし、昔の施設を残して補強するより建て直す方が楽なんです。まあ保存義務がないからいいんですけど…」とこれからの利用については思案中のようだ。「観光と産業のバランスはこれからの課題」。江間さんはそう話した。
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■有数の金属供給源として近代化に貢献した東北地方の鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群 秋田、岩手、宮城の3県にまたがる近代化産業遺産。江戸時代のころから多様な金属が採掘され、明治維新後、本格的に開発された。
秋田県小坂町の小坂鉱山、北秋田市の阿仁銅山、湯沢市の院内銀山は、明治初期に官営の鉱山として出発。明治中期に民間に払い下げられて発展し、銅や銀などを産出した。
秋田県鹿角市の尾去沢鉱山、岩手県八幡平市の松尾鉱山、宮城県栗原市の細倉鉱山は民営会社として明治中期に施設の電化などで銅の出鉱量などを増やして近代化に貢献した。
なかでも細倉鉱山は一説には1200年前からの歴史があり、現在もリサイクル工場が稼働するなど貢献を続けている。