いつ起きても不思議ではない巨大地震
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、東京帝大理学部地震学教室の地震計の東西動の針が突然大きく振れだした。M7.9、関東大震災の発生だ。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080529/25712
震源地の相模湾に面した地域は壊滅的な被害を被ったが、東京は主として火災旋風による惨禍であった。
通信施設も壊滅状態にあり、この惨事を世界に発信した第1信は、東京湾に停泊中のコレヤ丸からで「横浜地震後火災岸壁に近づく」であったという。その後「正午横浜大地震 大火災死者多し」「交通機関不通、水糧食なし」などと発信されたという。
1923年の大震災は「突然」と言われているが、当時、関東大震災の予測はどうだったのか分からない。関東地方の非局地大地震(関東大地震のように広域に震災が発生する地震)は33年、818年、1703年、1923年に発生、一方局地大地震(首都圏直下型地震?)は1900年代以降多発している。
関東大地震のような非局地大地震の発生は、周期的にもまだ先のようだが、60年、70年と言われる首都圏直下型地震は、何時発生しても不思議ではないと見られ「備えよ常に」と注意を喚起されている。
頻発する国内の茨城県沖、茨城県南部、千葉県北部、房総沖、東京湾の奥を震源にする地震発生には首都圏直下型地震の発生を心配するが、日本から2000キロも離れた中国四川大地震には驚いた。プレートテクトニクス理論からすると世界で起こる巨大地震は皆関連があるのだ。
メデイアなどの報道によると、段差2.5メートルのずれが300キロにわたって伸び、多数の死者、家屋倒壊を招き、新潟県中部地震での旧山古志村で発生を知った土砂ダムも、四川省では大規模な山崩れが35カ所もの土砂ダムを形成し、決壊による2次災害が心配されている。学校の倒壊による惨禍は目を覆うほどであるが、我が国だって例外ではない。
資料によると、1923年の関東大震災による被害は死者9万9331人(当時の東京市の人口は243万人)、焼失家屋44万71287戸。薬品の転倒や昼時と相まって、各所から火の手が上がり、木造建築物が多かったため5カ所で火災旋風が発生、これによる死者は3万8000人に上ったと言われる。
両国、横綱町公園内にある東京復興記念館 関東大震災、東京空襲の資料、写真、絵画が展示されている(撮影:矢本真人) 東京復興記念館、慰霊記念堂、震災遭難児弔魂像のあるここ横綱町公園は当時公園工事中の陸軍被服廠跡で最大の火災旋風が発生、最も惨禍を極めたという。
当時と今では、インフラも雲泥の差だろうが、震災による被害には新たな問題も多い。
交通機関の不通は多くの帰宅難民を生み、車であふれる幹線道路は災害発生時緊急車両の通行が確保されるのか。
災害時緊急車両専用道路表示がある道路や環八を走っていると心配になる。重油など燃料タンク群の被災は薬品の転倒どころではないし、港湾施設、船舶などによる被害は想像絶するものがある。
関東大震災でも、緊急処置として「自動車の仕事を邪魔しないように」との通達が出されていた。またいろんな噂が飛び交い混乱を招くことを防止するため「ありもしないことを言い触らすと処罰される」(警視庁)という通達や、橋の修理のため爆破・破壊するため「爆音に関する注意」など今でも重要且つ必要な処置で参考になる。
しかし、予知とか予兆はどうなっているんだろう。大気中のイオン濃度の変化、FM波の異常が予知技術として3年ほど前脚光浴びていた時、顕著な異常値を観測したために地震予知警報を出したがこれが外れ、メデイアの注目から遠ざかった。観測経験から、相当の確信を持った勇気ある行動であったと思うが、残念である。
唯一、学者の理解を得ている「微小地震の減少」「地下水位の上昇」も前兆現象として世間で認められているが、「いつ、どこで、その規模は」までは無理なようだ。
京都大学防災研究所地震予知研究センターでは、「近畿北部における最近の地殻変動」で、琵琶湖の西から京都府中部、大阪府北部にかけての丹波高地で日頃小さな地震がたくさん起きているが、2003年3月から回数が減った。
この地域は数年の静穏期の後、M4~5Mの地震が起きている。南海地震も近づき西南日本全体が活動期に入り、どこで大地震が起きてもおかしくない状態だと指摘している(同センター ホームページより)。
そして、3年ほど前に「いつ、どこで、どのくらい」とは言えないが、多くの人が地震に対する意識を高めることを期待して情報を公開すると宣言し、今もその経過が公開されている。このあたりで、大地震が発生すればその惨事は大きく、注意喚起は勇気ある行動である。
津波や地震対策は、大震災、災害が発生すればメデイアで大きく取り上げられ、ハザードマップ作成などの進捗状況が話題になるが、年数が経てば風化されやすい。
横綱町公園内に建つ震災遭難時弔魂像 小学児童薬5000人の死を悼み建立された(撮影:矢本真人) 発生する周期が長く、また何時起こるか分からないことから「もうしばらくは大丈夫だろう」との安心感から意外に無防備になっている。
・ 食料、水を3日分確保する。
・ 徒歩で帰宅するコースを確認しておく。
・ ばらばらになったら、家族で集まる場所を決めておく。
・ 近くの避難場所を知っておく。
・ 震災後家を離れるときは、ガスの元栓、電気のスウィッチを切る。
・ 懐中電灯、笛など鳴る物を持っておく。
・ マンションなどでは出入り口を確保する。
・ 家具などの転倒防止処置。
・ 家屋の耐震診断とその補強。
対策は必要なのだが、やろうという気がなかなか起きてこない。東急ハンズなどに行けば、一式売っているのだが値が高く購入を止めた経験がある。
うちの孫がお世話になっている保育園でも、地震後の措置が親に知らされている。「最後まで保育園児の面倒は見る。避難場所は掲示するのでそこに迎えに来ること」などが通知されていた。
首都圏直下型地震、東海地震、東南海地震、南海地震など何時発生してもおかしくないもの、周期的にはもう少し先のもの、単独で起きるか、連動するかで、その被害は想像を絶するものになる。
私の住んでいる所も地震は少ないと言われているが、赤城山山麓では過去に1メートルの亀裂が出来るほどの巨大地震の発生があったことが分かっている。
関東平野は特に気をつけなければならないが、日本全国安全な所はない。情報がないのは、単に未だ痕跡が見つかっていないだけのことである。
私のように1カ月のうち半分を東京で生活している者でも、昼間、出かけると時間的に歩いて帰ることが可能な駅まで帰ってきて初めて安心できる。
首都圏に住み且つ勤務している人達は、どう考えているのだろう。
「今すぐには起きるまい」との考えが多いのではないだろうか…。
慰霊堂 ここは陸軍被覆廠跡で最も惨禍を極めた場所。再びこのような惨禍のないことを祈念して建てられた(撮影:矢本真人)